【脳活通信52】童謡の秘密「浜千鳥」は、生きる意欲の再生の歌だった!
2018年は「童謡誕生100年」になります。
文芸雑誌『赤い鳥』が発刊(大正7年(1918年)7月1日)されました。
純粋な子どもたちの“心”により添った芸術として、
『赤い鳥』は日本を代表するすぐれた詩人や
作曲家の多くが参画し、
ここからたくさんの素晴らしい童謡が生まれました。
【幼子のルーティン】
幼児期、夕食後のルーティンは、
療養中の母から贈られた「童謡の絵本」を抱きかかえて
私は、マダマダと足踏みをしながら
伯母の食事の後片付ける後姿を見ていたものです。
食後の小一時は、伯母の膝の上を独占して、
伯母の唄う声と余白に書かれた、
母からのメッセ―ジを読んでもらうのが常でして、
今、思うに、
私にと摂って、
食後は子ども心に母の愛を感じるひと時だったのです。
その多くの童謡の中でも、
少女期から青春時代に気にかかる童謡があります。
その一つが「浜千鳥」です。
【不思議な詩】
🎶 青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色 🎶
♪青い月夜の浜辺には・・・
なぜか物悲しくなる、旋律と歌詞です・・・
♪親を探して鳴く鳥が・・・とくると、
幼くして亡くした母の面影を探している自分がいたもので、
「この鳥は私!、私のことを詠った歌!」と
泣き出してしまったことがあります。
どうゆう訳かこの童謡には、
悲しい想いが見え隠れしますし、
聞く人へ、何か訴える響きがあります。
千鳥は俳句の冬の季語です。
額面通りに解釈すると、
凍てつくような寒さの中の月光の浜辺を、
はぐれた親を探し求めて鳴く千鳥を
詠っていることになります。
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ところが、歌詞をよく読むと、
ちょっと意味が違ってきます。
♪親を探して鳴く鳥・・・が、
浜辺をトボトボと歩くのでなく、
♪波の国から生まれ出る・・・となっているのです。
寄せては返す波から…何が生まれ出るのかしら???
♪濡れた翼の銀の色・・・
鳥の翼が月の光に照らされ、
キラキラと銀色に光っている・・・
(?_?)なぜ、ナゼ、ナゼ???
益々不思議な詩です。
【「浜千鳥」の秘密】
この歌の定説では、
作詞家鹿島鳴秋キョウシュウ が
19歳で亡くなった娘を偲んで
作った童謡だと言われています。
それは間違っていたのです。
「浜千鳥」の歌碑は、
千葉県の花園海岸、高知県の大山岬、
三重県の津高校校庭に在り、
どこも作詞鹿島、作曲弘田の住んだ処に建っています。
が、
もう一か所、
新潟県の柏崎海岸にこの歌碑があります。
それも“童謡「浜千鳥」が生まれた浜”と刻まれているのです。
鹿島も弘田もこの地には住んでいませんでした。
文芸雑誌「少女号」の編集長鹿島鳴秋キョウショウ が
中村葉月と友人の桑山太市郎を柏崎に尋ね、
月明かりの浜辺を三人で散歩していた時に、
この詩が生まれたと「童謡の秘密」で書かれています。
その時、鹿島は「こんな童謡ができたよ」と笑って、
桑田太市郎に手渡したのが『青い月夜の浜辺には・・・』だったのです。
その年は大正8年で、ひとり娘の昌子さんが亡くなったのは昭和6年で、
この詩が出来て12年後に昌子さんは身罷っているので、
♪親を探して鳴く鳥・・・
は娘さんでないことは確かです。
このことを知って、
愛娘が波にさらわれ・・・と
それまで死と直結する歌だと思っていた私は、
ショックを受けました。
≫♪波の国から生まれでる・・・
不気味に感じていた「生まれでる」は、
死ぬのでなく、「生まれる」のです。
娘が死んで波にさらわれて行くのでなく、
荒波に揉まれて苦しんできた自分の人生を振り返り、
それを立派に乗り越えて来たからこそ、
いま、立派に光り輝く
♪濡れた翼の銀の色・・・
だと、歌っているのではないか、
過ぎた昔も、ここまで耐えてきた苦労も
♪月夜の国へ、消えてゆく・・・
と記したのは、まさに鹿島の実感だったのではないか.。。。≪
と、「童謡の秘密」の著者、合田道人ミチト 氏は述べています。
童謡「浜千鳥」はまさに
「生きる意欲 ≪エネルギー≫ 再生」の歌なのです。
高齢者施設では、
童謡がよく歌われています。
私はこの歌を唄う時は、
この事実を告げて、
歌った後、「拍手を自分に贈りましょう」
と、自分自身を称える事をお勧めしています。
あなた様も是非そうなさってください。
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