【脳活通信62】天之御中主神アマノミナカヌシノカミ に導かれ神仏習合の名残りがみられる戸上トノエ 神社へ・・・。

左手人差し指の爪に白い☆が現れてから・・・

【脳活通信61】「爪に白い点 (☆)」は、幸運がやって来るお知らせです^^

最近引っ越してきました・・・霊峰戸上トノエ 山の麓フモト へ。

 

そこは「柳の御所」と伝わる安徳天皇の最後の御座所があったエリヤで、

現在は大里ダイリ といわれている処です。

 

安徳天皇の御霊はこの霊峰戸上山中腹くにある

戸上トノエ 神社に祀られています。

 

そこは知る人ぞ知る

境内に満隆寺が在る神仏習合の跡がみられる神社なのです。

 

この神社とご縁を得た経緯イキサツ を

記して参ります。

 

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目次

【戸上トノエ 神社縁起】

 

この地に引っ越すにあたり、

事前に「柳の御所」と「戸上神社」に参拝しました。

 

戸上神社由緒によりますと

当神社は北九州市門司区の最高峰戸上山(海抜521米)頂に上宮、麓に本宮を有し、同一祭神を奉祀している神社であります。 社記によれば、宇多天皇の寛平年間、約1千80余年の昔、鎮西の霊峰戸上山上に三柱の大神を奉祀したことに始まると伝えています。 奉祀の際、御霊代を枝折戸に奉戴して山上に奉安してから山を戸上と号し、神社を戸上神社と称するようになりました。

★三柱の大神:天御中主神アマノミナカヌシノカミ、伊邪那岐神イザナギノカミ、伊邪那美神イザナミノカミ

 

この神社の御祭三神は、

古事記の一番最初に出てくる天御中主神、

更に伊邪那岐神、伊邪那美神は

古事記や日本書紀に記されている

国産みの神であり神産みの神であり、

祓い祝詞ノリト に出てくる神々でもあります。

伊邪那岐命・伊邪那美命はさまざまな神々を生み出したが、火の神火之迦具土神を出産した際に伊邪那美命は火傷で死ぬ。そのため伊邪那岐命は怒って火之迦具土神を十拳剣で切り殺した(この剣からしたたった血からまた神々が生まれる)。伊邪那岐命は伊邪那美命に再び会うため黄泉の国へ赴くが、伊邪那美命は変わり果てた姿になっていたため、おののいた伊邪那岐命は逃げた。伊邪那岐命は黄泉のケガレを清めるために禊ぎをしたが、このときもさまざまな神々が生まれた。最後に生まれた・天照大御神(日の神、高天原を支配)・月読命(月の神、夜を支配)・須佐之男命(海を支配)は三貴神と呼ばれ、伊邪那岐命に世界の支配を命じられた。 「古事記」国産み、神産みのあらすじ  Wikipedia

 

天御中主神様には、

十数年前、友人に誘われ

九州の屋根の分水嶺パワースポット

に在る幣立神宮(日の宮)に参拝した時に出逢いました。

★幣立神宮ヘイタテジングウ熊本県上益城郡山エ都町に鎮座する神社である。

日の宮ヒノミヤ ともいう。
地図にも載らない隠れ宮とも呼ばれ、

歴史は1500年以上日本最古の神社で、

日本を縦断する分水嶺上にある

強力パワースポットの地(熊本県上益城郡山都町大野698)でもある。
【御祭神】

・神漏岐命・神漏美命(宇宙から御降臨の神・宇宙神
・大宇宙大和神(神代七世の初代)
・天御中主大神(天神七代の初代)
天照大神(地神五代の初代) 
伊勢神宮内宮
伊勢神宮外宮

 

 

特に天御中主大神が祀られている祭壇は、

竹藪を背に半坪に満たない岩を

四方に笹竹を立て、

その間を御幣飾りをしている光景は古イニシエ そのものです。

 

ここはシャッターを切ることを忘れるほど、

神聖な空気が漂っていて・・・写真がありません(≥≤)

★天御中主神アマノミナカヌシノカミ:日本神話天地開闢において登場するで、
神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、
別天津神にして造化三神の一柱。

 

境内には邇邇芸命ニニギノミコト が天孫降臨したと伝わる処に、
鳥居が建っていて、遥か彼方カナタ に阿蘇が見渡せます。

 

 

それ以来、自宅の神棚を拝する時は、

天御中主神様、天照大御神様、産土神様(甲宗八幡神社)

を始めご縁のある和布刈宮、赤間宮、大宰府天満宮、

荒神さん、水神さん、龍神さん、

へと参拝していました。

 

私の産土神である甲宗八幡神社は、

日本の歴史が変貌する様を瞼マ のあたりにした神社で、

源平の最終激戦地と言われる壇ノ浦を眼下にしています。

産土神社:自分の生まれた土地に宿る
産土(うぶすな)の神さまをさします。

 

帯状疱疹を発症したときは、

夜明け前に能舞台と楠木の間の広場で

氣功…白隠禅師の内観法…を20分行い、

痛みを意識しない様にしていました。

★白隠禅師の「内観の法」で痛みに耐えています

 

 

この社殿の横には、平知盛の墓もございます。

 

 

私は、この神社にお参りした時は、

必ず知盛様のお墓へも手を合わせ参っています。

★平 知盛タイラノトモモリ平安時代末期の平家一門の武将

平清盛の四男。母は継室平時子で、
時子の子としては次男となる。同母兄に平宗盛、同母妹に平徳子がいる。

世に新中納言と称された。

 

向って右側がそのお墓です。

過っては、

山頂近くに在ったのが

昭和28年門司の大水害時に

社殿の裏までずり落ち

現在はこの地におわします。

 

その知盛ゆかりの安徳天皇、平宗盛の名が

戸上神社の主祭神の他に

合わせて祀られている

17柱の中にあるのです。

《主》天御中主神、伊邪那岐神、伊邪那美神《合》奥津日子神、奥津比売神、須佐之男神、大山祇神、大穴牟遅神、少名比古那神、豊日別命、宇迦之御魂神、保食神、高淤加美神、高淤加美命、闇淤加美命、罔象女神、建御名方神、猿田彦神、安徳天皇、平宗盛 戸上神社縁起より 

★安徳天皇アントクテンノウ

1178年12月22日治承2年11月12日) – 1185年4月25日寿永4年3月24日))は、

第81代天皇(在位:1180年3月18日(治承4年2月21日) – 1185年4月25日(寿永4年3月24日))。
は言仁(ときひと)高倉天皇の第一皇子。母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)。

 

★平 宗盛タイラノムネモリ平安時代末期の平家一門の武将公卿

平清盛の三男。母は清盛の継室平時子

時子の子としては長男であり、安徳天皇の母・建礼門院は同母妹。

 

これを知った時、

私はこの地に呼ばれたのだ!

と悟りました。

 

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【日本の神様は分け御霊ミタマ】

神道では
神様の考え方は、

『神霊(神様のこと)は無限に分けることができ、

分霊しても元の神霊に影響はなく、

分霊も本社の神霊と同じ働きをする』

とされるのです。

★分霊ブンレイ、ワケミタマ:神道の用語で、本社の祭神を他所で祀る際、

その神の神霊を分けたものを指す。

 

例えば八幡様で説明をしますと、

全国の八幡様をお祀りしている神社には、

大本の宇佐神社からお分けした分霊の八幡様がいらっしゃいます。

 

ですから

甲宗八幡様にお参りしたら宇佐八幡神社にお参りしたことになり、

全ての神社がつながっていると言うことなのです。

 

具体的に言いますと、

今、あなたがお近くの八幡様にお参りをされたとしますと、

日本全国の神社にいらっしゃる八幡様がご存知になって、

ご利益を同じようにくださるのです。

 

 

◆1300年余神仏習合から神仏分離まで

高校の日本史授業の折り、

明治維新で神仏習合から神仏分離となったくだりで、

何で???が私の頭の中で始まりました。

 

それより幼い頃、

“同じ神様があちこちにあって、

手を2回叩くと神様がやって来る・・・

家の神棚の神様と神社の神様とは同じ!???・・・。

初詣で手が鳴るたびに、

神様はあっ地に行ったり、こっ地に来たりしているの?!?

お正月の神様は大変だわ・・・“

と思っていました。

 

後に、

日本の神様は分け御霊神ミタマノカミ と知った時、

神様が移動をするわけでなく、

分霊という形で分かれて神社で

鎮座されているということと、

日本の神様は

仏教(仏教公伝538年 飛鳥時代)を排除することなく

神仏習合時代を生活に根ずかせ

明治維新(神仏分離令1868年)まで続いた・・・

事を知ったときホットしたものです。

★仏教公伝:従来は単に仏教伝来と称されたが、公伝以前にすでに私的な信仰としては伝来していたと考えられるため、

区別のため「公伝」と称されることが多い

 

その風習が

日本人の身体に綿々とDNAで受け継がれているから

葬儀は仏式で、結婚式は神殿で・・・

でも何の違和感も持たない私たちですね^^

 

日本の神様って素敵ですね^^

いや懐が深いですよね!

 

だから仏教が日本に任那から公伝した時、

神仏習合をなし得たのです㋧。

◆神仏分離令:神仏習合の慣習を禁止し、

神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。

明治元年(1868)3月明治政府は神道の国教化政策を行うため、

神社から仏教的な要素を排除しようとした。

 

以前から私は戸上神社に関心がありました。

 

それはこの神社は神仏習合の

名残りがみられる神社だからです。

 

 

◆夏越祭:輪潜り神事

7月31日は旧暦夏越大祓ナゴシノオオハラエの日です。

 

宵の頃、行水ギョウズイ (身を清め)を済ませ,

浴衣ユカタ を着て

近所の産土神社へ行き

茅で作られた輪を3回潜り、

神殿に詣で半年の穢れを払い

無事を感謝します。

 

そして

後半の健康と平安に過ごせることを願う日です。

★輪潜り3回:左周りに1回、右回りに1回、もう1度くぐり…
メビウスの輪の様に周り祭殿へ詣でます。

同時に「水無月ミナヅキ の 夏越ナゴシ の祓ハラエ する人は 千歳チトセ の命 延ノ ぶというなり」 

と3回唱えながら潜ります。

 

今日の夜は所用があるので、

午前中に戸上神社へ出向きました。

 

まだ禰宜ネギ さんが茅チ の輪の仕上げをしているところでした。

★禰宜:神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。
今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、
宮司を補佐する者の職称となっている。

 

 

神社に詣でるのは後にして、

境内にある満隆寺に参ることにします。

 

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【満隆寺縁起】

満隆寺は

大鳥居を潜って

最初の石段を上り、

 

二ノ鳥居もくぐり

 

 

二番目の石段をあがり

手洗処で両手と口をすすいで、

 

★この蛇口の水は、人を感知すると流れ始めます、

 

三番目の石段を上がった

 

右手奥に在ります。

 

 

 

たなびく旗が示す様に

ここには弘法大師様(空海)が祀られているお寺なのです。

 

 

入り口には御幣飾りがしてあり

そこは8畳ほどのコジンマリとしたお堂で、

中央にお大師様、右に十一面観音菩薩様、左にお不動様が

安置されております。

 

縁起によれば、

弘法大師様が平城天皇の大同元年(806)唐より帰朝の折、

関門海峡をご通過、船中より戸上山を仰ぎ当地に下船して

この霊峰に登り密法を修めます。

 

山麓に一宇を建立し、

随身供養の観音像を安置されたのが

満隆寺の起源だとされています。

 

 

そこで出会ったのがKさん↓ です。

 

 

何時もは夕刻に来て

人気のないお堂内で4・50分近く過ごしていますが、

今日はお大師様、十一面観音菩薩、不動明王像のみ済ませて

立ち去ろうとしていると

彼女から声を掛けられたのです。

 

ここは住職は居なく、

戸上神社が管理していて

心ある有志でお守りしているお寺です。

 

彼女は大分臼杵出身で、

このお地蔵様(満隆寺横のお堂)とのご縁で40年間

寺院内の清掃ご奉仕している方でした。

 

 

このお地蔵様は福岡の篠栗から移された仏様だそうです。

 

彼女とコモゴモ話している内に、

“この地に導かれて・・・貴方と出会ったのですね!“

と笑みを交わした次第です。

 

何かに急かされ

今日この時間に

戸上神社にやって来たのは、

彼女と出会うためだったのだ!

 

毎日行っている彼女の布施のお手伝いを申し出ました。

 

毎日は無理ですが、

出来る限りのお手伝いを・・・

 

これからKさんと長いお行き合いになりそうです。

 

◆弘法大師様(空海)との出会い

1995年(平成8年)正月、脊椎分離になり、

気功で克服しようと決心しますが、

元来、虚弱体質で気の弱い体質の私は

日に々々不安が募ります。

 

知人に真言密教のU庵主様を紹介されます。

 

それから毎月護摩供養に出かけでいますと、

信者さんに乞われて、

そのお堂で気功教室を始めます。

 

この庵での氣功修練は、

段に生きる自信を深めるに

足りるものでした。

 

 

【柳の御所(御所神社)】

北九州市門司区大里にある柳の御所は

安徳天皇の仮御所(内裏)があったところです。

 

 

大里(だいり)は、福岡県北九州市門司区地名および地域名。門司区の南西部に位置する。かつては内裏(だいり)であったが、享保年間(1716年1736年)に大里に変更された。

 

かの源平合戦は

この柳の御所の前柳の浦まで続きます。

 

関門海峡の壇ノ浦で

祖母の二位尼(清盛の妻・時子)

に抱かれて安徳天皇が入水した後も、

源氏方は執拗シツヨウ に攻め立て

内裏近くの柳ヶ浦(JR門司~JR小森江周辺)の地まで

やって来たのです。

 

最後の激戦地は国道3号線が通るヶ所で、

今でも年に2~3度人身事故があり、

出店しても数年後は閉店を余儀なくされる・・・

地ジの者は先刻存知センコクショウチ のお話しです。

 

私が中学生の頃、

姉は高等学校の図書室から借りて来た

吉川英治著「平家物語」24巻を

熱心に読んでいました。

 

何がそんなに姉を夢中にするのか、

私も姉の読後、

返却する日まで読み始め・・・

すっかり吉川英治の語り部文体に

はまってしまい、

24巻を2度読み返したのです。

 

平家ゆかりの地北九州門司で誕生したこともあり、

平家は悪で、源氏は善の意識を覆すに足りる

物語でした。

★門司は平家に纏わる隠れ里が数か所あります。

 

それから私は、

平家と関わる人と幾たびか出会ってきました。

 

このお話しはいづれにて。。。

 

 

【龍神さんとの出会い】

私の幼少期の夏の遊び場は、

山口県下関市豊浦の川棚温泉でした。

 

夏休みになると

従妹の家(現在の瓦そばたかせ)に

姉と一緒に預けられていました。

 

そこには姉と同級の従姉と私と同い年の従妹に続いて、

年下の従妹兄弟二人がいました。

 

お姉さん二人は一家8人+私たち2人の汚れ物を、

近所の川でセッセセッセとお洗濯💦💦💦 

私たち従姉妹はその周りで水遊び\(^0^)/

時折り流れる洗濯物をキャーキャー

はしゃぎながら取りに行きます。

 

午後からは

近所の子供も加わり

清龍さんが祀られている

松五神社(青龍権現)の杜でカクレンボ。

 

さらに遠出して姉たちは大楠の森に出向きます。

 

私たち幼子は、

置いていかれますが、

私は必死に後追いします。

 

先に着いたお兄ちゃんお姉ちゃんたちは

大楠にまたがり自慢顔。

 

“これは帰ってもナイショよ!“

 

私は見上げた頭で頷ウナズきます。

 

過っての川棚大楠の森

子供たちの秘密の遊び場でした。

 

今では、観光で整備が進み

昔の面影はありませんが、

4.5年前までは、こんなに元気でした。

 

★この時も白蛇様がやってきてます。

 

時折り龍神さんや白蛇さんも遊びにきていましたョ!

★この写真↓には龍神と白蛇が写っています。

この写真は、u庵主様と出会い、お堂で氣功教室を始め・・・

願い事を龍神様に…を

勧められて数ヶ月たった頃に撮った写真です。

この下りは無料レポート「脳活ドリームライフ物語」に認めでおります。

 

夕刻には

敷き詰められた小石の間から湧き出る温泉で汗を流しながら

ひと遊び(;^_^A💦・・・

 

現在、浴場は近代化されていますザンネン!!!😢

★川棚温泉青龍伝説

 

 

【まとめ】

密教の大黒天は大国主命と相まって

インドでは大魔神だったのが

日本では福の神となり、

七福神となって親しまれています。

 

私の祭壇にも大黒天様が居らっしゃいますが、

仏像がなくとも念ずれば通じるのです。

 

言葉にすれば通じるのです。

 

なぜなら日本は言霊の国ですもの^^

 

今日は大師様のご縁で、

新しい方と出会いました。

 

戸上神社では、

“この地でこの世での仕事を全うします“

と誓い、

風水で言うところの

霊峰戸上山の竜穴リュウケツ「真清水の池」をひと巡りしながら、

古イニシエ から祀られている神々様へご挨拶・・・

 

 

池を渡る風を感じながら

今日も瞑想のひと時を過ごします。

 

 

仏教も神道と同じ様な考え方をしますね・・・

分け御霊のご利益を実感した日で

この地へ引っ越して来たのは

神仏のお導きを頂いたのだと

改めて感じております。

 

 

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